先人が海と藍とハイヤで繋いだ世界を未来へ。牛深ハイヤ祭り。CASE天草プロジェクト6
牛深からこんにちは。可知です。
牛深の4月と言えば「ハイヤ祭り」。そして今年は3年ぶりに道中踊りも復活し、本来の姿のハイヤ祭りが開催されました。
私も牛深に来てからは初めての本開催だったので、めちゃくちゃウキウキワクワクだったのですが、今回はただ楽しむだけでなく、CASEとしても大きく花火を打ち上げてやろうじゃないかということで、ハイヤ祭りに向けて飲食店の開業準備をしたり、豪華なイベントを企画したり、なかなか大忙しで記事更新が遅れてしまったのですが、とても面白いハイヤ祭りになったので余すところなく、お伝えしていこうと思います!
前回のnoteでもお伝えしたのですが、牛深BASEは3月末でようやく「牛深じもと食堂」の工事が完了し、4月に向けて開店準備を整えているところでした。
実は、こちらも3か月規模のプロジェクトを組んで東京の建築系の大学生25人を2週間牛深に呼び込み、学生たちを一緒にDIYするということを行っていたのですが、1月からプロジェクト始動・仲間集め、2月からオンラインで設計・資材発注、3月の春休みで実際に牛深に来るというスケジュールで見事に牛深BASEのキッチン部屋を完成させてくれました。
少しだけ、取り組みについてご紹介します。
去年の暮れ、東京の友人の建築学生から
「建築系サークルの共同代表になったんだけど、春休みに設計施行できる場所を探してて、牛深でできそうなら20人くらい呼べるけど、どう?」
という風にメッセージが届き、ちょうど春に向けて地元食堂オープンのためのDIYをどうしていこうか計画していたところにこの話がきたので喜んでお願いすることにしました。
施工前の写真
まずは、私が現地の情報や建物の状態を計測して送り、会社としてどこまで予算を出せるのか、学生たちはどういう風な設計・施工がしたいのか、うちはどういう場所を作りたいのかをすり合わせ、完全オンラインで設計を行いました。
そんなこんなで2月は短期間の設計を終え、資材発注もギリギリでこなし、実際に3月牛深に学生が来てくれました。
詳しい活動の経歴はDaBoのインスタの方に載っているので、こちらもぜひご覧ください!若くて勢いのある大学生らしいフレッシュな映像を作ってくれています。
その後は、シンクや冷蔵庫、コンロ、食器棚などの設備を導入し、水道管やガス配管、電気工事を業者さんに行ってもらい、牛深BASEのキッチンは完成を迎えました。
ここまでが、牛深じもと食堂開店までの裏側でした。
そして本番のハイヤ祭りに向けては、じもと食堂お披露目営業とハイヤ祭り特設会場での飲食販売はすることを決めていたのですが、何か他にもイベントを開催したいなと思っていました。
そんな時、一通のメールが届きました。
「こんにちは!私の知り合いで徳島の藍染め文化の継承してらっしゃる方がいるのですが、今度ハイヤ祭りで牛深に来るそうで、その時ポップアップで展示かなにかをできるところを探しているらしく、牛深BASEさんが良いんじゃないかなと思い連絡しました!」
ちょうどタイミングよくイベントの企画を考えていたところだったので、二つ返事で了承して相手方とお話することになりました。
そしたら、その方以外にも4人程徳島や久留米の仲間を連れて牛深に来るそうで、みんな藍に関わるプロダクトを生産している人たちで、それぞれの物も持ち寄って展示会をしたいという話でした。
また、そもそもなぜ徳島の藍染め関係の方が牛深に来るかと言うと、江戸時代後期から明治時代にかけて、全国に藍染め文化を流行らせた徳島の藍商人たちは九州拠点の中継基地として牛深に荷下ろし、そこから久留米など九州全土に藍を供給していたらしく、帰りの船には牛深で生産されたイワシ肥料の干鰯を徳島に持ち帰り、藍を育てる大事な肥料として活用していたらしく、その繋がりはとても深いものがあるとお聞きしました。
更に、徳島といえば阿波踊りが有名ですが、皆さんのご存じかと思いますがあれは牛深ハイヤ節が元々で、牛深に来た藍商人がハイヤを気に入り、徳島に持って帰っていったものが独自に発展していったものと考えられます。
そして、それを更に全国を回っていた藍商人たちが日本全国50以上の地域に牛深ハイヤを届けていって、今や牛深ハイヤ節はハイヤ系民謡のルーツになっているのではないかという説があります。
これを聞いて、私は「こんなすごいことは初めて聞いた。牛深に1年半住んでいて徳島との繋がりがあったことなんて一度も聞いたことないし、なんで牛深の人達はこのことをあまり知らないんだろう。」と思い、せっかくならただ商品の展示会をするだけじゃなくて、この海と藍とハイヤが繋いだ工芸・文化を未来に伝える展覧会をしようと思い、これをハイヤ祭りに合わせて開催することにしました。
また、ただ展覧会を開催するだけでなく、やっぱり今を生きる令和の藍商人的存在の方々の生の声を届けたいよなと思い、牛深側からも現代の商人的存在である牛深出身社会投資家の竹井さんをお呼びして、時代を超えた徳島と牛深の商人による対談を実現しました。(アーカイブあり)
これを開催するにあたっては牛深の生き字引である牛深歴史文化継承の会代表の吉川さんに多大なる協力をしてもらい、牛深と徳島のつながりの歴史を教わったり、資料提供をしてくださったり、写真をお借りしたりして、本当にお世話になりました。
また、本渡民俗資料館館長の本多さんにお願いして、海彩館の資料館にある「阿波徳島の藍商と鈴屋小左衛門と牛深の荷受問屋阿波屋倉七について」という古文書の解読書を持ち出してもらい展覧会の重要な情報として収集させていただきました。ありがとうございました。
飲食店販売の方は、普段のスタッフ数でじもと食堂とハイヤ祭り会場出店の2つを回すのは無理なので、CASEから増員スタッフを2人呼び、他にも熊本大学の学生さんや「おてつたび」という若者と地域のマッチングサービスを手掛けるサービスを活用して他所の若者を2人ハイヤ祭りに合わせて募集し、出店を行いました。
ハイヤ祭りの展覧会の詳しい内容は私のインスタグラムの方にアーカイブと合わせて載っているので、もしよければ見ていただけると幸いです。(私が書いた展覧会文章があります。)
総じてハイヤ祭りは大成功に終わり、徳島・久留米の皆さんもまた来年も来たいと仰って下さり、更に今回の活動をSNSで見た徳島のお友達の方々が続々と牛深に行きたいと仰ってくれている状況だそうです。
また、来年はもっと多くの方が牛深にいらして、そのうち阿波踊りの団体とかもハイヤに呼べたらいいな~と思っています。
とりあえず、今度は私が8月に徳島の阿波踊りの方に参加しにいく予定なので、そこでまた何か繋がりを作って牛深に持ち帰ってこようと思ってます!
牛深と阿波徳島の海と藍とハイヤの繋がりを想い起こして、再び藍い情熱で地域を盛り上げる。そんな未来を創っていこうと思っています。